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・いや、確かに幻想めんまの存在を証明するには、目の前で蒸しパンでもなんでも作らせればいいじゃないとは言ったけれど、実際にやられると怖いよ、これ。じんたん以外の面子には材料やら調理器具やらが目の前をふわふわ飛び交っている様子しか見えない上に、いきなりそれがガシャーンと音を立てて落ちるとか、軽くポルターガイスト入ってるし。
・問答無用で幻想めんまの存在を超平和バスターズの面子に信じ込ませたことで、色々と話の進んだ9話。めんまパパをゆきあつが説得することで花火制作OKは出たけれど、花火制作を禁止していたのはめんまパパに見せかけてめんまママ、って訳では無くてめんまママを心配しためんまパパって事だったのか。ややこしい。
・話の展開と共に時間も過ぎて、劇中の日付は10月に。てっきり夏の終わりと同時に物語も終わると思っていたのになぁ。花火の打ち上げ日程を決める時に出てきたカレンダーの曜日の並びから見て、劇中も2011年なのね。iPadのアプリで出ていた公式キャラブックの情報から、「あの日」は劇中現在から見て5年前、との事なのでめんまが亡くなったのは2006年。「ですよ。」さんをWikiったらちょうどその頃バラエティ番組で露出があったようなので、現実世界とのリンクも取れるのか。いや、まあ、のけモン=ポケモンなら金は1999年発売だからそこはズレてるのだけど。一応6年前の2005年の10月も今年と同じ曜日の並びになっているから劇中=2005年だと思う事も出来て、それだと2005年の5年前、2000年にのけモン金で遊んでいたと言うのは現実と符号するのだけど、今度は「ですよ。」さんの方が…ホント何年前から活動してたんだろうか、この方。
・小説版だと5年前に遊んでいたゲームが「のけモン金」では無くて、2006年発売の「ポケモン ダイヤモンド・パール」になってて、きちんと時系列統一されてるのだけどね。いや、まあ、今年表調べてみたらダイヤモンド・パールの発売日が9月末日になっていて、めんまの命日が夏時期なら発売前にめんま亡くなってるじゃん!的なツッコミもあるのだけどね。
・めんまを成仏させる事が正しいことなのか?とめんまと自分に問うも、めんまもじんたんもお互いに離れることを惜しんでいる様子。とは言え、ドラゴンボールがある世界でもなく、かつ叙述トリックで実はめんまは死んでいませんでした―という展開がある訳でもないので、最終回までにはお別れが来るのだろうけど。
・別れがたい別れもあるけれど、それを乗り越えなければならない、と言う意味で、じんたん達がやろうとしている花火の打ち上げは、ある種めんまを送るお葬式のようなものなのだろうなぁ、とぼんやりと思う。お葬式は死者を弔うものだけど、残されたものが死者との別れを乗り越えて前に進むための儀式でもあると、個人的には思っていたりするので。
・ところで幻想めんまが、年相応(よりかちょっと幼めだけど)に成長しているって話は、この先何かしら消化する予定のある伏線なのかな。過ちを繰り返さなかった(ブス発言しなかった)、けれど相変わらず素直になれないじんたん、という描写でクリア?
・そう言えばラストシーンでじんたんがめんまの足元を注視して憂いの表情を浮かべるカットがあったけれど、あれは何だったのだろうか。ぱんつを拝もうと思ったらめんまの女子の嗜みにガードされてがっかり、と言うシーン
では無いと思ってるのだけど。画面が暗かった&録画ファイルをひっかきまわして検証する元気もなかったので分らなかったけれど、足元からめんまの幻想が薄くなっている、影が無くなっている/付いているとかかのう。もしくは、めんまがずっと裸足でいることを気にかけているのか。めんまがワンピースと一緒に身に着けていたサンダルは、「あの日」めんまが亡くなったことの象徴として水面に漂う様子を描かれたからなぁ。幻想めんまとして現れてからはずっと裸足なめんま、と言うのはそれと何か関係しているのかも知れない。単に「お化けは足がない」という表現の亜種なのかもだけど。
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