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何だよこれ
なんなんだよめんま、かくれんぼなんだろ?
だったら、お前見つけなきゃ、終われねぇだろ!
・震えた。じんたん、あなる、ゆきあつ、つるこ、ぽっぽが、涙ながらに「もういいかい?!」と訴える声に「もういいよ」とめんまが応えるシーンが綺麗過ぎた。
・じんたんですら声以外めんまを感じる事が出来なくなって、いよいよお別れの時が近づいた中での「かくれんぼ」。声すら届かなくなって、ペンすら持てなくなって、皆に何を言う事も伝える事も出来ずにお別れするのでは「あの日」と同じだとばかりに、かくれんぼの「まーだだよ」に合わせて「まだ、まだだよ」と懸命に自分の身を維持してお別れの手紙をつづるめんま、と言うシーンだけでじわっと来たのに、「もういいかい」「もういいよ」の応答にはその上を行かれた。
・手紙は渡せた。めんまからすれば、きちんとお別れが言えた。けれど、じんたん達からすればそうでは無い。こんな中途半端な気持ちのままお別れが来てしまったのなら、また過去に囚われたままの日々が続いてしまう。囚われる日が「あの日」から「この日」に変わるだけで、また、罪悪感を抱えたまま影も形も無いめんまを求め探し続ける毎日になってしまう。探す相手のいないかくれんぼを続けるが如く。だから、「もういいかい」と訴える。もう、「あの日」から止まってしまった時計の針を先に進めてもいいかい?と。
・現実ならばその問いには自分自身で回答を見つけて解決しなければいけないのだけれど、そこは物語。「もういいよ」と言うめんまの許しの声が全員に届く、と言う優しい結末に。これまではじんたんだけに見えて聞こえていためんまの幻想が、最期の最期で超平和バスターズの全員に届く、と言うのは良かったなぁ。じんたんだけではなく、それぞれがそれぞれの事情でめんまの影を追っていた。だから、最後にめんまを見つけてかくれんぼを終わりにするのは、超平和バスターズの全員だ!みたいなノリが熱かった。
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・最終回のサブタイトルや、ラストのじんたんのモノローグから、タイトルの「あの日見た花」、「あの日」は5年前、めんまが亡くなった日の事だけをさしていた訳じゃなかったのか、と気づく。未来から見た、現在。幻想めんまと過ごした、あの夏、あの日。そんな意味も込められていたと言う。あの日に見た花=めんまの幻想/めんまに抱いていた罪悪感/めんまとの思い出/あの夏あの日めんまに抱いていた感情のすべてと見ることが出来て、それらに触れると胸がちくりと痛むけれど、同時にそれは穏やかな気持ちももたらしてくれる、と。
・その感情の正体はまだ分からない、「
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」。そして時が過ぎてゆくごとにそれは損なわれていくものだけれど、そうだとしても、めんまのお願いを叶え続けるために、笑って怒って泣いて、そんな当たり前の日々を繋げて大人になっていこうとするじんたん決意のモノローグには涙々だった。めんまとの思い出は薄れていってしまう、いつか忘れてしまうけれど、彼女の事は忘れない。こうして日々を前を見て生きていくこと、彼女の願いを叶え続けることこそめんまを忘れない事の証明だ、みたいなラスト。
・じんたんのモノローグに合わせて、とある青い花がワンカット映っていたのだけど、これは、TwitterのTLに流れていた勿忘草でいいのかな。花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで」。この花にまつわるドイツの伝説含めて、なんともあの花のストーリーとマッチした花だなぁ。いや、逆なのか。
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・花火打ち上げによるめんまの成仏作戦が失敗して、超平和バスターズの面々が腹に抱えていた感情を暴露するシーン、ぽっぽがこれまたすごいものを抱えていて驚いた。友達が目の前で息絶えていく姿を目撃してしまったのは、ホント、酷いトラウマになるよ。ずっとじんたんに協力的、めんまの存在を信じていたのは、ぽっぽがナイスガイ☆だから、という訳ではなくあくまで自身のトラウマ克服のためだったのだな。
・と言うかこのシーン。つるこがゆきあつラブだとあなるに言われて、初めてそれに気づいた風のゆきあつには笑ってしまった。こいつ、本当にめんましか見えてなかったのか。
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