東京でも一部地域では見えたらしいですが、僕の勤め先では何だかんだでずっと曇天でした。日食の日。何か天体ショーがある日は大体天気悪い所に居る気がするなぁ。あれもしかして僕雨男?
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と言うか朝っぱらからちょいとしたアクシデントがあって対応していたらいつの間にか11時半回ってたとか、そーゆー話もあるんだけど。
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休み時間に見つけて爆笑してしまった記事→
■ すっきりしたコードを書くか、バグを生まないコードを書くか。何を重視したプログラムを書くのか、と言うプログラマ同士の価値観の相違から宗教論争まで話が飛躍する本文-コメント欄の流れが素敵すぎでした。
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僕はと言えば、コーディング時に課しているルールは「バグを生まない」寄り。そのために「すっきりしたコードを書く」事を心がけてはいるのだけど、それはけして文字数を極限まで削る、と言う意味合いではなくて(ましてやかっこいい表記をすると言う訳でもなくて(笑))後で自分や他の人が読んでみてすぐ意図を理解できるようなコードを作る、という意味なんだよね。
例えば苛立たしい気持ちを表現したい場合「MK5」と3文字で記述する方法もあるけれど(中途半端に古い)、後々自分で読んでみたり下地の違う人が読んだりすると「ん?MK5?マジで恋する5秒前だったっけ?」だとか「いやいやマジで空気読めない5人組ですよ」だとか本来の意図とはまったく別の解釈をされる恐れがあるわけですよ。
逆にそれを避けたくて「その日は寝起きから最悪だった。むっとした湿気を感じながらカーテンを開けると空は曇天、爽やかさの欠片も無い。(中略)ラッシュ・アワーの車内から弾き飛ばされるようにホームへ降りると靴裏に違和感があった。やってしまった。ガムだ。近くを歩く小学生の集団がこちらを指して笑っている(後略)」とか事細かに書きすぎるのも冗長に過ぎて逆に何が本筋なのかが分からなくなってしまうと言う。
例えるなら伝えたい事に対してバランスの取れた文章を書くが如く。理想を言えば村上春樹が1Q84の中で述べていた「エゴが削り取られ、余分な修飾が振るい落とされ、見え透いた論理が奥の部屋に引き下がった」文章のような。そんなコーディングをすべし、というルールなのだけどただそれだけを言いたいがために
酷く冗長なたとえ話を持ち出すというパラドクス。
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