彼は季節に一度ほどのペースで仕事のための新しいスーツを買い、休日にはひとりで部屋の掃除や本を読んで過ごし、半年に一度ほどは昔からの友人に会って酒を飲んだ。友人はもう増えも減りもしなかった。(「小説・秒速5センチメートル」より)
お前は俺か。ノウライトです。
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知人に新海作品の登場人物ぽい、との評価を受けたので改めて新海作品を(流し読みだけど)活字で追っていたのだけど、本当にどうしたらいいのでしょうかってぐらいに自分と重なってしまうのですがどうしたらいいですか。
特に上の一文はクリティカル・ヒットで、大人になってからの貴樹が会社に入ってからの自分に被る被る。そうなんだよなぁ。あまり着飾ることはしないから、最近服飾関係で買うのは仕事用の衣類ばっかだし、休日は何だかんだで部屋の整理と自分の事で終わるから誰と遊ぶことも、それこそたまに昔の友達と会う以外ないし。うん。サミシイヤツダナッテコエハキコエナイヨ。
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秒速はタイトルにもなっている「速度」、冒頭で貴樹と明里を隔てた「距離」、作品の中を流れ続ける「時間」それぞれが絡み合った話なんだろうなぁ、と今更ながらにぼんやりと思う訳で。
そう考えるとキャッチコピーにあった「どれだけの速さで生きれば、君にまた会えるのか」は、遠く『離れた』君にどれだけの『速度』で近づけばどれほどの『時間』でまためぐり合えるのだろう、という意味になるのですよね。離れた距離は、速度と、時間で取り戻せるのだろうか、みたいな。
けれど物語の内容はこの言葉を逆転させた様な、どれだけ『近く』に居ても、生きていく『速度』、つまるところ目指す先やそのあわただしさが違えば、『いつか』は離れていってしまうこともありえる、みたいな展開ばかりを地でいっているという。
SFを交えた世界で「取り戻す」事がキーだった前作「雲のむこう~」に比べて(結局あれはあれで最終的に取り戻したものさえ失くしてしまう未来が示唆されていたけど)、ただの日常で、淡々と「こぼれていく」ばかりの秒速は
リアルに切ない話でそんなことがまかり通る世界に軽く絶望すら抱くのだけど、新海監督が伝えたかったのはそーゆーことじゃないよね、と思うわけで。
そんな世界だとして、そんな世界だからこそ、人と人がランデブー(笑)するのはとても得がたい事で、奇跡のようなものなのだと。その証拠にほら、顔を上げると僕らを包む景色はこんなにも綺麗じゃないかと。そしてそんな世界に来れたのも微々ながらも、それこそ桜の花びらが落ちる速さぐらいゆっくりながらも僕らが互いに進んできたからじゃないかと。だから、ほんの少し躓くことがあっても、またいつか前に進もう、と。
そーゆーことを伝えたかった作品だったんじゃなかろうかとトロイ(@ダブルアーツ)感染間際の冒頭部分を省みずに言ってみるテスト。
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