◆俺を誰だと思っていやがる! 紅蓮篇の感想でも少し書いたけれど、グレンラガンってぱっと見、古きよき時代の燃えアニメではあるんですがその殻の影に「貴方は貴方、私は私」というテーマが大事に隠されている作品だと思うのですよ。
と言うのも、紅蓮篇クライマックスの北カナンドマ高原の戦いで大グレン団の面々が劣勢だった戦況をひっくり返すのにシンクロしてそのテーマがかなり是的に描かれているんですね。カミナの影を追うあまり「兄貴ならこうした」と言う考えに固執してしまい、自分らしさを見失っていたシモンが「俺は俺だ!」と自分らしさを取り戻し復活、その名乗りに呼応するかのように息を取り戻す大グレン団の面々、そして全員そろっての「俺たちを誰だと思っていやがる!」の決め台詞、という展開で。
主要メカであるガンメンがあれだけ多種多様な「顔」を持っているのもそのテーマの一端を担ってのことなのだろうなぁとか思う訳で。
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そのテーマを一番体現しているキャラクターは誰かと考えてみるとこれは主人公のシモンではなくて、ヒロインのニア。
初登場時は何の思想も狙いもなく
天然発言で「人っていったい何ですか」「人ってみんな同じなの?」との言葉を、カミナを失ったばかりで自己喪失中のシモンに投げかけ。その言葉の本当の意味をグアームに否定された自己をシモンに肯定されたことで獲得する。と紅蓮篇ではそのテーマを体得するまでの物語がしっかり描かれているんですよ。
そんなこんなで自分/他人の違いを尊重するパラメータを重視して育ったニアだからこそ、「同じ人になってくれ」とも受け取れる(それはそれで曲解だけど)シモンのプロポーズをあっさり断るシーンは
自然すぎて笑ってしまったのだけど(というか時間の尺を考えるとプロポーズを一度断ってから受け入れる、という流れは削られても仕方の無いところだったのだけど敢えて残したのはそれなりに意味があることだからだと思う)、そんな彼女が「個」を否定する組織の先兵として「顔」の無い兵器を指揮する立場に転じてしまったのはヒロインが敵サイドに取り込まれてしまったという表面上のショックに加えてこのテーマ的にもやっぱりショックだったと言う。
けれど、だからこそ。その苦境を乗り越えメッセンジャーとなった事で失った「個」を取り戻してシモンの元へ帰ってくる展開もやっぱり表面上/テーマ的にシンクロして燃えるのですよね。今まで生きてきた自分の「自分らしさ」を否定する多元宇宙の罠。それを突破してニアの元に駆けつける大グレン団の面々って展開も手伝って天元突破グレンラガン登場直前のシーンはTV版・劇場版ともに鳥肌ものでした。
下半身がドリルとか、下手するとギャグ演出なんだけどそんなことは気にしない!
◆クライマックスの天元突破祭りが熱すぎた件 螺巌篇のテーマは祭りです!とはパンフレットにあった中島かずきさんの言だけど、クライマックス、螺巌篇の完全新作部分は正に祭り!の一言に尽きる展開でした。
グランゼボーマに破れてバラバラになった天元突破グレンラガンの頭部がラガンぽくなった!って展開だけでおお!となったのに、そこから始まる怒濤の天元突破祭りが本気で熱すぎ。
ニア専用ガンメン・ソルバーニアを皮切りに続々と現れる大グレン団のガンメン・天元突破Verやらそれらが合体して出現した超天元突破グレンラガン(という名の天元突破アニキ)やらの天元突破祭りだけでもおなかいっぱいな展開だったのですが、個人的に一番うおお!と思ったのはTV版と同じ演出で流れ出した「空色デイズ」。まさかの再録・天元突破Verの「空色デイズ」。
しょこたんまでもがまさかの天元突破かよ!みたいな勢いで燃え滾ってました。
◆その他諸々・ロージェノムヘッドのカテドラル・ラゼンガンへのハッキング方法に吹いた。電脳空間にガチムチ親父が降臨しただけで笑いどころだったのに、制御中枢にアクセスするための鍵があわねぇよし後は力づくだ!とひたすらヘッドパッドする姿は腹筋崩壊ものでした。
・アンチスパイラルに解析されるニアの図がとってもエッチぃかったです。
・というかアンスパはラストバトル以外、画面に出てくる度に笑いを堪えるのに必死だったという。シモンとニアのキスシーンのバックに顔だけ出てきたときはもうどうしようかと思った。取り敢えずお前空気嫁とか思った。
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