◆本編というかクライマックスのアレ語り もう全ては冒頭に書いたシモンのあの口上にありって言っても言いすぎじゃない、みたいな感じのする劇場版・紅蓮編でした。
TV版総集編・2部構成での映画化って聞いてから、クライマックスはロージェノムとの決戦、エンディングは夜明けのテッペリンだとばっかり思っていたのですが(その方が時系列上は区切りがいいし)、そんな安易な予想は軽くすっ飛ばしてくれましたね。
まさかの11話クライマックス。まさかの11話全面リファイン。大事なのは時間上の区切りじゃない。
大事なのは漢の成長の区切り。大切な人を失った悲しみから立ち上がるシモン・そのシモンが叫ぶあの言葉・そしてシモンの覚醒と大グレン団の真の意味での結成。そこにつなげるべくTV版をリビルドしたのが紅蓮編なんだよ!みたいな熱い情熱をびしばしと感じてきましたよ。
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クライマックスシーンが熱すぎたのでもうそのシーンに向けた感想ばかり書きますけど(笑)、あのシーンが何故あそこまで燃えるかと考えてみると、大グレン団の全員が「カミナ」という表面上のテンプレートから脱却して、真にカミナの遺志を継ぐシーンだからですよね。
カミナを失ってからというもの、大グレン団のメンバーはことある毎にカミナならあーしたのこーしたのと、「カミナ」をテンプレート、ある種のルールに据えた行動をしていたのですけど、それはけしてカミナの遺志を継いでいるわけでは無いんですよね。カミナの遺志を継ぐということは、○○だから××する、なんてルールに則った生き方ではけしてない。そんな生き方はそもそもあのカミナが許さない。じゃあ、カミナの遺志を継ぐというのはどういうことか?
その問いに対する回答がシモンの口上に繋がる訳ですよ。
今の「俺」はカミナとの出会いで変わることの出来た「俺」。だから、カミナの想いを背に背負い、カミナとの思い出を胸にしまい、それらと一緒に「俺」として生きていく、みたいな。
その言葉に打たれて反撃を開始する大グレン団、って劇場版のオリジナル展開がとても熱かったですね。TV版だとここで脱「カミナ」ルールをはたしたのはシモンだけで、その他の面々はそれに見とれているだけだったので(笑)
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そしてこのシーン(の前後)、シモンがニアの命とアイデンティティを同時に護ったシーンであるというのもポイントですよね。
四天王に囚われたニアは自分が父に捨てられたこと、父は自分の事を替えのきく人形としてしか見ていなかったことなどを吹き込まれてアイデンティティ喪失状態に追い込まれていたのですけど、そこにシモンがあの口上をひっさげて助けに現れるわけですよ。
助けに来てくれた。だから、シモンにとっての私は替えのきく人形じゃない、ニアという一個人。あれほど悩み苦しんでいたシモンが「俺は俺だ」と立ち直ってくれた。だから、私も誰に何と言われようと、私の感じる私で居ていいのだ。と、そんなこんなでヒロインの内も外も救ってのヒーロー復活。そんなヒーローに、私を 助けてくれて/見つけてくれてありがとうと感謝するヒロイン。うん、やっぱりあそこは素敵に熱いシーンでした。
◆その他細々・キーになる話以外、容赦なく切って捨てる編集の鬼っぷりがすごかった。まさかひとつのBGMにあわせて4話~7話が過ぎていくとは思ってなかった。
というか4話の絵がそのまま使われるとはさらに思ってなかった。・ドテンカイザンが出オチすぎて吹いた。というか、クライマックスに主人公の覚醒+一気に敗れる四天王+俺達の戦いはまだまだ続く!って終わり方がものすごく打ち切り漫画の最終回に見えて吹いた。
・ニアのはいてない疑惑が晴れました。はいてました。白でした。
・劇場に入ったときに、「紅蓮編を2回、螺巌編を1回劇場で見ると特性グッズプレゼント」とか書いてあるカードを貰ったのですが、貰ったときは流石にそれはないだろーDVD出るまで我慢するよとか思ってたのですが、ごめん、
また見に行くかもしれない。PR