◆仮面ライダーディケイド 完結編・ディケイドはオリジンとパロディの関係を暗喩した物語だとはよく言われているけれど、士が消滅した後の真キバの人の「ディケイドに物語は・・・・・・ありません」(うろ覚え)なる台詞から始まるシーンにうおぉと来た。
・作品世界観すら壊しかねないパロディ=ディケイドに対して、オリジン=真ライダーが取った手が、ディケイドに過去の物語(に似せた物語)を何度も何度もループさせて本来ならば失われていくだけの過去の物語を「焼き直す」使命を与えることだった、とまで劇場版では明確に語っていて、TV版の真ライダー陣の動きも納得できる感じに。
・真ライダー陣はディケイド=パロディは一つつぶした所でまたいくつも生まれるのだから、だったらせめて原作を壊さない程度にパロディしてね、これ以上はまずいと思ったら止めに行くけどね(30話・31話の真ブレイドの人)というオリジンサイドの比較的穏健派で、ディケイドの物語がこれ以上膨らんで新しい物語を生まないように(鳴滝さんはこれを「混沌」とか言ってたけど)監視する立場でもあったと。そして鳴滝さんはホントもうパロディとかやめてください、オリジンさえあればいいんです、パロディなんて何一つもいらないんですとか言っちゃいながら始終ちょっかいを出しに来るオリジンサイドのタカ派だったと(笑
・そう考えると、ディケイドの物語が想定外の進展を見せて(TV版の31話から1話にループしないで劇場で「完結編」とか始まっちゃって)しまった際にスーパーショッカーの一味となってまでディケイドを止めようとした鳴滝さんはホントになりふり構ってないな!
・どんな正当性があったところで強制されたループから脱却するのが、ディスティニーブレイクするのが、やっぱり燃えるポイント。
・パロディであるディケイド=士に物語は無い(いらない)と告げられて、それでも士の生きた証があればそれが彼の物語だとばかりに彼の姿を写した壊れたBBFを取りに夏海が走るシーン、フィルムが感光していて写真を残す事は出来なかったけれどそれでも彼のことを覚えている自分たちがいる限り彼の物語はあったのだと夏海、海東、ユウスケが誓ったシーン、そこからつながる士復活のシーンは予定調和でご都合主義に溢れてはいるけれど、熱い。ずるいぐらいに熱い。一緒に旅をしてきた仲間の記憶が士の姿を写真に焼き付けて、更にいくつもの世界で出会った友の記憶が、「完結編」の世界でしか出会えなかったタックルとの思い出が、失われた「士」という存在を世界に再度「焼き付ける」シーンでは目頭が熱くなった。仕組まれたループの中でいくつもの世界を渡った軌跡が、ただそれだけがひとつの物語になった瞬間であり、「ディケイドの物語」が他のライダーの物語と同格になった瞬間。
・「写真」を絡めた、にくいなーと思えた演出はもうひとつあって、それはディケイドのベルトとBBFの壊れ方の類似点。ディケイドのベルトはカメラをモチーフにしたものなのだろうけど、そのレンズに相当する部分が壊れたときの状態と士が投げ捨てたBBFのレンズ周辺の壊れ方がそっくりなのに気づいてこれまたうおぉとか思ってしまった。
・士は見た目に反して強くないからファインダー越しにでもないと人と向き合えない、それでも人と向き合いたかったから写真を撮っていたんだ、との海東と夏海の「士は何故写真を撮っていたのか?」という会話がそのまま「士は何故悪鬼と化してまで戦い続けていたのか?」と言う問いに対する答えになるという。
・ベルトがBBFと同じ壊れ方をすることで、士にとって写真と戦いは同じ意味を持っていた、と示唆される訳で。つまるところ、あの戦いはベルト=戦いを通してでしか向き合えないけれど、それでも真摯に世界と向き合おうとした結果だったんだと。ループする世界のギミックに気づいて一度世界をリセットするしかないと悟った士の孤独な戦いだったんだと。BBFは捨ててきてしまったけれど、それでも士はベルトでライダーの写真=カードを撮り続けていたんだと。これにも気づいた途端目頭がついつい熱くなってしまった。
・士が復活を果たして、士、夏海、海東、ユウスケの四人揃っての変身シーン、スーパーショッカーとの激闘、けれどディケイド劣勢でどうなる?と来た所で「次回に続く」の演出が入ってビギンズナイトへ物語は移動。「ええ?これで終わりなの?完結しないの?」と一瞬劇場が騒然としたのだけれど、この演出にもにやりと来てしまった。訓練されたオタクはこれぐらいではうろたえないのである。
◆仮面ライダーW ビギンズナイト・ディケイドのドラマがやたら難解だったのに反して(笑)こちらはストレートに主人公陣の成長&掘り下げエピソード。クライマックスを除けば普段の2話ワンセットのストーリーを劇場でやっているような感じ。なのだけど、じっくり見るとそこはやっぱり映画版ということでディケイド側とリンクする箇所がちらほら。
・ディケイドは1話から31話のループからの脱却、ダブルはドーパントが蘇らせた死者との決別とそれぞれ強制的な懐古から主人公が抜け出すところが山場になっていて、どちらも過去に囚われずに前へ進む事を是としているように見えるのだけど、ディケイドでは士が撮ってきた/集めてきた過去のライダー達の写真/カードを大事にしているし、ダブルでは翔太郎がかつてのおやっさんの教えを心/メモリーに刻んでいる、とけして過去をないがしろにしているわけでもないところがそれぞれを象徴するアイテムに現れているという。過去ばかり見ていては未来はない。けれど過去があって今がある。
・そんな訳で本編はダブル誕生の過去を交えたお話。翔太郎もフィリップも互いに罪人だという話の展開にぞわぞわ来た。罪人が宣告する「お前の罪を数えろ」とか、格好よすぎる。若干中二の匂いがするけど!
・二人でひとりの仮面ライダーなのもお互いに背負っている罪が真逆のものであるからこそなのだろうけど、これは贖罪の果てに二人が独立したライダーに変身するパワーアップ展開はあるんだろうか。お互い成長したけどやっぱり俺たちは二人でひとりだよな!とクライマックスで再び二人でひとりの仮面ライダーに変身してさらにパワーアップ、的な展開はあるんだろうか。何かそーゆー展開がきたらフィリップに死亡フラグが立ちそうな気がしないでもない。
・「DEATH」だと思っていたガイアメモリが本当は「DUMMY」であることが判明して、オリジンの再来だと思っていたおやっさんが実はパロディだった→パロディのおやっさんを否定→パロディであるディケイドを否定、みたいな話に流れかねない勢いだったけれど、あれはディケイド編で真ライダー陣が懸念していたパロディの危険性とでも言うべきものをを色濃く描写した結果だと言う事でひとつ。
◆MOVIE大戦2010・敵と戦いながら戦場を駆けるディケイドと、敵を追って戦場へと向かうダブル。先輩ライダーに後輩ライダーが追いついたところで世界が融合、「MOVIE大戦2010」とどーんとタイトルコールがあったのは非常に熱かった。ディケイド編が終わった段階でうすぼんやりとこの流れは想像できていたけど、タイトルコールまでは想像になかった。
・ここからは小難しい話は無しだ!とばかりに素敵にエンターテイメント。とりあえず「ちょっとくすぐったいぞ」のはしごには不覚にも笑ってしまった。
・ハードタービュラーで敵メカを乗っ取る展開も面白かった。あのバイクどうやってナンバー取ってるんだと突っ込まざるをえないチート改造ぶりがツボだった。
・エンディング、ディケイド側はループから脱却したことを象徴するかのような、まっすぐに続く道をバックに写真を撮ってまだまだ旅は続くぜ!と爽やかな締めに。何か
打ち切り漫画的なフレーズになってしまったけれど、ループからの脱却物語としては未知数の何かが目の前に広がっているという状況は「本当の終わり」としては充分すぎるほどに充分。
・ダブル側はパラレルワールドのおやっさんからエールを受けて涙がほろりな締めに。ダブル編のクライマックスで翔太郎が否定したおやっさんがディケイドで危険視されていたオリジンを破壊するパロディなら、こちらはオリジンを大事にするパロディ(ディケイド=士的な)といった感じ。これはパロディおやっさんからのエールであり、先輩ライダーからのエールでもあるのかも知れない。そんなこんなで前作からのバトンを受け取って、ここからが本当のダブルの「始まり」みたいな感じで完。
・・・・かと思いきや最後の最後にライバルライダー出てきちゃった!アクセルて。一体地球はアクセルに関してどんな記憶を持ってるんだ。いやそれを言ったらジョーカーも一体どんな記憶だと突っ込みたいのだけど。これはアレですか。最終的に3人で一人の仮面ライダーになるのですか(勇者シリーズ的な思想
◆
と、まぁつらつらと随分と長い事感想を箇条書きしたけれど、総じて言えばとても満足度の高い完結編&特別編でした。平成ライダーを通してみたのはディケイドが初なのだけど、追いかけてきて良かった!と思えるラスト&ダブルもまだまだ見続けるよ!と思える感じで。
ドラマパートも見ごたえ(深読みしがい)があったのだけど、アクションパートも格好よくてよかったなぁ。吉川さんの生身アクションが超かっこよかった。
惜しむべきはTV版を知らないと楽しめない(と思う)ので、容易に人に進められないところだろうか。会社で「ライダーの映画見に行きます」とか言ったら
異物を見る目で見られたとかなんとか。
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